はじめに
近年、塩害や中性化などの劣化により鋼材が著しく腐食し、ひび割れやコンクリートの剥離などの変状が顕在化しているコンクリート構造物が増加している。また、アルカリシリカ反応(以下、ASR)による劣化を生じたコンクリート構造物も全国に存在する。
このように、さまざまな劣化原因によって耐久性能、耐荷性能が低下した膨大なコンクリート構造物をすべて更新することは、経済的に困難であり、適切な補修を施すことで構造物の長寿命化、延命化を図ることが急務である。
ひび割れ注入工法は、劣化を生じたコンクリート構造物に適用される頻度が特に高い補修工法のひとつであるが、過去の適用事例を見ると、単にひび割れを物理的に閉塞することだけを目的と捉え、ひび割れ幅のみを指標として、工法や材料が選定されるケースが多いように見受けられる。しかし、ひび割れ発生の原因が異なれば、補修工法の要求性能も異なるはずであり、劣化機構に応じた適切な補修工法を選定することは、極めて重要であると考えられる。
本稿では、塩害、中性化およびASRによるひび割れ発生のメカニズムを整理し、それらの原因によって発生したひび割れの補修方法について述べる。また、劣化の補修技術として近年注目を集めている、亜硝酸リチウムを用いた手法について紹介する。
劣化機構に応じたひび割れの発生メカニズム
2-1 塩害、中性化によるひび割れ 塩害とは、コンクリート中への塩化物イオンの侵入に起因する鋼材の腐食によって、コンクリート構造物の性能が低下する劣化現象である。
一般に、コンクリートはpH値が12~13の強アルカリ性を示し、そのような高アルカリ環境の中にある鋼材の表面には、厚さ数nm程度の不動態皮膜(γ -Fe
2O
3・nH
20)が形成される。この不動態皮膜によって、コンクリート中の鉄筋は腐食から守られている。しかし、コンクリート中に腐食発生限界濃度以上の塩化物イオン(Cl
-)が存在する場合、鋼材表面の不動態皮膜は破壊される。
コンクリート中への塩化物イオンの侵入経路としては、沿岸部の海水の飛沫や、冬季間の凍結防止剤の散布による塩化物の浸透(飛来塩分)、または、海砂や塩化物含有混和剤を使用したことで生じる、コンクリート材料に由来する塩化物(内在塩分)などが考えられる。これらのコンクリート中の塩化物イオン量が腐食発生限界濃度を超えた場合、鋼材周囲の不動態皮膜は破壊され、鋼材の腐食が発生する。
鋼材が腐食すると、腐食箇所の体積が2.5倍程度に膨張するため、その膨張圧によってコンクリートにひび割れが発生する。そのひび割れを通じて水分、酸素、塩化物イオンなど劣化因子の侵入が容易になるため、さらに鋼材の腐食が促進され、コンクリートのひび割れはますます増大する。これが、塩害によるひび割れの発生メカニズムである。
一方、中性化とは、強アルカリ性であるコンクリートに大気中の二酸化炭素が侵入し、水酸化カルシウムなどのセメント水和物と炭酸化反応を起こすことで、細孔溶液のpHを低下させる劣化現象である。
高アルカリ環境のコンクリート中にある鋼材の表面には不動態皮膜が形成されているが、pHがおおむね11以下に低下すると、不動態皮膜が破壊され、鋼材が腐食環境下に置かれる。その後の鋼材の腐食の進行については塩害の項で述べたとおりであり、中性化によるひび割れも、鋼材の腐食による腐食生成物の体積膨張に起因する。
すなわち、塩害も中性化も鋼材の腐食により構造物の性能低下が進行するという点で共通しており、その起点となる現象は、鋼材の不動態皮膜の破壊であると言える。不動態皮膜の破壊による鋼材の腐食の概念を図1に示す。
2-2 ASR によるひび割れ ASRとは,コンクリート中の骨材の周囲に生成した、ゲル状生成物の吸水膨張反応によって、コンクリート構造物の性能が低下する劣化現象である。
コンクリートの材料として反応性骨材が使用された場合、コンクリート中のアルカリ金属イオンと、反応性骨材中のある種の反応成分とが化学反応を起こし、アルカリシリカゲルを生成する。日本で確認されている反応性骨材の主なものとしては、火山岩が起源の骨材(安山岩、流紋岩)や、堆積岩が起源の骨材(チャート、砂岩、頁岩)などが挙げられる。
アルカリシリカゲルは強力な吸水膨張性があり、コンクリート外部からの水分の侵入によって体積が膨張する。このため、コンクリート内の組織に内部応力が発生し、反応性骨材の周囲にあるセメントペーストを破壊する。時間の経過に伴ってASRが進行すると、反応性骨材の周囲に発生した微細なひび割れが進展し、やがてコンクリート構造物の表面に、巨視的なひび割れが発生する。これがASRによるひび割れの発生メカニズムである。
ひび割れ注入工法によるコンクリート補修
3-1 ひび割れ注入工法 塩害または中性化によってコンクリートにひび割れが発生している場合、鋼材周囲の不導体被膜はすでに破壊されていると考えられる。さらに、ひび割れを介して塩化物イオン、二酸化炭索、水分、酸素が鋼材の位置に直接供給されやすくなるため、以後は鋼材の腐食が加速する可能性が高まる。このため、ひび割れ箇所については、まず、ひび割れ注入工法による補修を施し、劣化因子の侵入を阻止して、鋼材の腐食の進行を抑制する必要がある。
一方、ASRによってコンクリートにひぴ割れが発生している場合は、コンクリート中の反応性骨材の周囲には、充分な量のアルカリシリカゲルが生成しており、それらが吸水膨張反応を生じていると考えられる。ひび割れを介して水分がアルカリシリカゲルに直接供給されやすくなるため、こちらも以後のアルカリシリカゲルの吸水膨張反応が、さらに加速すると考えられる。
このため、ひび割れ箇所についてはひび割れ注入工法による補修を施し、劣化因子の侵入を 阻止して、アルカリシリカゲルの吸水膨張反応の進行を抑制する必要がある。また、ASRのひび割れを起点として、内部の鋼材が腐食する場合もあるため、ASRひび割れの補修は、内部の鋼材の廊食抑制という側面も併せ持つ。
ひび割れ注人工法とは、スプリング圧やゴム圧による低圧注入器を用いて、セメント系、ポリマ―セメント系、エポキシ樹脂やアクリル樹脂などの有機系材料をひび割れ内部に低圧、低速で注入し、閉楽させる工法である。主に、コンクリート表面のひび割れ幅が、0.2mm以上のものへの適用が可能である。
ひぴ割れ幅が大きいものに対しては、主に経済的な理由から、ひび割れ充填工法(Uカット) が適用される場合もあるが劣化因子の遮断性、鋼材の腐食抑制の観点からは、ひび割れ充瑣工法よりもひび割れ注入工法の方が抑制効果は高いと考えられる。このため、劣化要因に応じた工法の選定を行うことも重要となる。
なお、エポキシ樹脂などの有機系注入材を使用する場合には、ひび割れ内部が乾燥した状態で施工する必要がある。ひび割れ内部が湿潤状態にある場合、注入材の硬化が阻害され、充分な付着性が得られないことがあるため、湿潤面硬化型の注人材を使用するなどの対処が必要となる。
逆に、セメント系注入材は、ひび割れ内部が乾燥した状態では注入材の流動性、充填性が低下するため、ひび割れ内部に充分な水通し(プレウェッティング)を行った上で施工する必要がある。近年では、セメント系注入材の中でも流動性に優れ、ひび割れ先端部の微細な隙間にまで注入が可能な、超微粒子セメント系注入材の使用が増えている。
3-2 亜硝酸リチウムを用いたひび割れ注入工法
3-2-1 亜硝酸リチウムとは 近年、コンクリート構造物の補修材料として、亜硝酸リチウム(Lithium Nitrite : LiNO
2)を活用する技術が注目されている。
亜硝酸リチウムとは、正の電荷を帯びたリチウムイオン(Li
+)と、負の電荷を帯びた亜硝酸イオン(N0
2-)がイオン結合した物質で、水に溶けやすい性質を持っており、亜硝酸リチウム水溶液として製品化されている。亜硝酸リチウムの成分のうち、亜硝酸イオンには2価の鉄イオン(Fe
2+)と反応してアノード部からのFe
2+の溶出を防止し、不動態皮膜(γ -Fe
2O
3)として鋼材表面に着床することで、鋼材腐食反応を抑制する効果があり、塩害や中性化などの鋼材の腐食に起因する劣化の補修材料として活用されている。
一方、リチウムイオンには、アルカリシリカゲル(Na
20 · nSiO
2)と反応することによって、水に対する溶解性や吸湿性を持たないリチウムモノシリケート(Li
2O · SiO
2)またはリチウムジシリケート(Li
2O · 2Si0
2)に置換され、アルカリシリカゲルを非膨張化させる効果があり、ASR劣化の補修材料として活用されている。
亜硝酸リチウムの外観を写真3、亜硝酸イオンによる不動態皮膜再生メカニズムの概念を図2、...